動画技術研究所

趣味の映画製作、仕事の動画コンテンツ制作関連の記事を書いていきます

「殺人事件」と 物語創作の関係

ドラマに殺人事件があふれる訳

テレビドラマや映画を見ても、殺人事件を扱ったものが非常に多いと思います。

昔はテレビで「サスペンスドラマ」が大流行で、再放送も含めると、1日に何件もの殺人事件をドラマの中で見ることになっていました。

 

エンターテイメント小説の原型は「探偵小説」だそうです。

探偵が解決すべき事件としては、殺人事件が圧倒的に多いので、その名残りでエンターテイメントは殺人事件を扱うことが非常に多いということだそうです。

 

物語を作る側としては、「人の死」という大きな事件を扱うと、当然、強制的にドラマチックな展開になります。

 

ところが、「死」を扱ってしまうと、全ての尺度が大雑把になりがちなんです。

細かな表現とか、小さな面白さを感じられなくなってしまう恐れがあります。

殺人や多重人格のインフレ

「殺人事件」や「多重人格」という要素は、面白い物語を作る時に非常に便利な道具です。

特にあらすじ作りの練習では、とても有効な要素です。

けれども、ちょっとその要素が「インフレ状態」になっているのではないでしょうか。

 

「人の死」というのを扱うと、強制的に物語がドラマチックになったかのように見えます。

物語の中で、「死」は便利な道具です。

ですから、かえって安直な印象を与えます。

 

学生が作る、まだレベルの高くない自主映画や小説などの物語を見ると、相当の確率で人が死にます。

サマになるので、安心するんです。

 

ちなみに、「サマになる」という意味でいうと、昔は8割の素人映画には「タバコを吸っているシーンがある」と言われていました。

なんとなく、タバコを吸うと「サマになる」印象が刷り込まれているせいでしょう。

 

ドラマや、舞台のお芝居で、

  • 殺人事件
  • 多重人格

という便利な要素を、直接使うことを禁じ手にしてはどうでしょう。

 

その上で面白い物語づくりを追求すると、結果的に「エンターテイメントとして成り立たせる引き出し」が増えるのではないでしょうか。

まとめ

  • エンターテインメントの起源は探偵小説なので、どうしても殺人事件をネタにすることが多い
  • エンターテイメントの物語を作る側としては、殺人事件や多重人格を禁じ手にする方が、作り手としての腕も上がるし、違う内容を求めている観客の期待にも応えられる可能性がある

ということです。

 

参考になれば幸いです。

鶴屋南北流 逆手の取り方

ヒントは江戸時代の舞台劇に

皆さんは鶴屋南北という人をご存知でしょうか?

江戸時代の劇作家です。

この人の活動が、現代の我々の創作活動の参考になると思っています。

 

江戸時代に人気のエンターテイメントに、「お芝居」がありました。

豪華絢爛な衣装を着た有名俳優が、芝居小屋で披露する演劇です。

 

市川團十郎のような俳優は、「千両役者」と言われるような高額なギャラを取る人気俳優です。

そんな俳優が出演する舞台は観客もたくさん入って、芝居小屋も儲かるという文化ができました。

夏の暑さに弱い芝居小屋

ところが、この芝居小屋には大きな課題がありました。

それは、夏の時期、客足が著しく減るというこです。

 

冬は劇場が寒かったとしても、お客さんが入る前に火鉢を置いたりして、暖を取ることができました。

ところが、夏の暑い時期は涼しくできません。

 

今と違って、電気のエアコンがありませんから、暑い小屋の中を涼しくするのは難しいわけです。

 

芝居小屋というのは、基本的には閉め切った空間です。

夏の間は、どんどん温度が上がってしまうという弱点があります。

 

当時の芝居の見どころは、「豪華絢爛な衣装」。

つまり相当な厚着の、重たい衣装です。

夏に、そんな衣装を着てしまうと、暑くてやってられないわけです。

 

高額なギャラを取っている役者たちは、そんな思いをしたくないので、夏は出演をしません。

観客も暑くて小屋にいられないということで、真夏は芝居が成り立たない状況だったそうです。

逆転の発想で夏の芝居を作る鶴屋南北

そこに目を付けたのが、鶴屋南北という作家です。

この人が作るの芝居は、元々、とても人気があったようです。

 

幕が上がると、舞台いっぱいに巨大なクジラが横たわっているところから始まって、観客の度肝を抜くような、伝説的な舞台がたくさんあったようです。

発想が柔らかいんでしょう。

 

この人は、閑古鳥が鳴いている「夏の芝居小屋」をうまく使えないか、と考えたんです。

  • 需要が少ないので、小屋の使用料金は安い
  • しかし、有名な俳優は出てくれない
  • 集客が見込めない

普通に考えれば、マイナスだらけの条件です。

 

しかし、南北は、無名の俳優の「スター性の無さ」を利用することを考えました。

 

無名の俳優たちに豪華な衣装を着せるわけにはいきません。

お金がかかりますし、そもそも、修行途中の俳優が、豪華な衣装を着ても、様にならない。

そこで、衣装はあえて、庶民が着ている普段着や浴衣姿のままにしました。

それによって、観客は、「スターを観に行く楽しみ」ではなく、「自分たちの分身の活躍を観る楽しみ」を知ることになります。

 

鶴屋南北の秀逸だったのは、ここで題材に、怪談を選んだことです。

東海道四谷怪談

 

怪談は怖い話ですから、大抵、寒気を感じます。暑さを忘れられるものです。

そして、怪談は薄暗い場面で展開されることが多いので、安上がりな舞台に出来る。

 

江戸時代の舞台設備というのは、非常に発展していました。

今でも採用されているような特殊な装置の多くは、この頃に開発されたものだそうです。

 

映像で言うと、特撮のような仕掛けもあります。

舞台の一部から、まるで本当に幽霊が浮き出してくるように人が登場するとか、戸板がくるっとひっくり返ると、裏に死体がくっついてるというような、ショッキングな演出もこの頃に生まれました。

 

これが非常に当たったんですね。

観客は、自分たちと同じような格好で演じている役者に、親近感を持って舞台を見ています。

その役者の芝居を見て、自分が物語の主人公の立場で、恐怖体験を楽しんだんです。

怪談が夏の風物詩に

夏は暑いから芝居小屋から足が遠のいていた。

ところが、涼しくなれる怪談ができたことによって、「夏は芝居小屋に怪談を見に行く」という文化ができたわけです。

 

本来、怪談は季節に関係なくあります。

真冬の怪談話もあります。

 

ところが、鶴屋南北の芝居から「夏に楽しむものが怪談」という文化が完成しました。

現代でも夏になると怪談特集があったりするなど、影響力が残っています。

マイナス状況をアイデアでプラスに変える工夫を

このように、不利な条件だったはずのものを、全て逆手にとって、効果的に活用しているところが、鶴屋南北のすごいところです。

 

「それは、江戸時代だから通用したんだよ」と言う人もいますが、私はそうは思いません。

 

私達が低予算映画を作ろうとした時も、「なかなか自分の理想としている条件が揃わない」事が当たり前です。

 

しかし、この鶴屋南北的な「逆転の発想」を持つ訓練をして、「マイナスの状況を利用して、新しい価値を作ろう」という意欲があれば、私たちにも、状況を改善させる可能性があると確信しています。

参考になれば幸いです。

行動する人は5%しかいない

基本的に人は行動しない

「これをやるといいよ」という意見に対して、同意していても、実際に行動する人はほとんどいません。

 

「行動はしないけれども、意見を持って批判はしている」という人はいます。

ただ、「批判」は「行動」ではないことに注意してください。

 

批判的な考えを持ち、自分はそうならないような行動をする、ということであればいいでしょう。

しかし、ただ批判をして終わるくらいであれば、批判はしない方がましです。

 

もし、あなたが、「他人の批判」ばかりして、それで溜飲を下げて毎日過ごしていたいということであればそれは自由です。

「類は友を呼ぶ」と言いますが、行動力という意味でも、似たような性質を持つ人は集まる傾向があります。

行動力がない人は、周りの人もやはり行動力がありません。

安心して、「自分も行動しない」という選択をし続けられるからです。

行動力を身に付ける簡単な方法

自分の行動力の無さを少しでも改めて、「行動できる自分」になりたいと思うのであれば、良い手があります。

行動力のない人と距離をとって、行動力のある人と親しくなる、ということです。

 

行動ができる人は、決断と行動が早い特徴があります。

行動力と忙しさは関係ありません。

 

「忙しい人は、なかなか行動できない」という認識は間違っています。

忙しい人でも行動する人はします。

 

私は、一つの判断基準として、「暇な人は行動しない傾向がある」と思っています。

実際、自分を観察した時もそうなんですが、適度に忙しい時の方が、計画を立てていろんなことをしています。

まとまった時間がある、暇がある、という時ほど具体的な行動をしていません。

 

私の見た限りですが、経営者のような、「忙しい人」は、決断が早く、行動も早いと傾向があります。

 

以前知り合いの社長さんと話をしていて、雑談で別の会社の話題になりました。

私が何気なく、「その会社の今の状況を記録としてビデオに撮っておくといいかもしれませんね」と話したんですが、「そうだね」と言って、その場で相手の社長に電話をして、次の日、私と一緒にその会社を訪問する約束を、その場で取り付けてしまいました。

「こういう行動力で差がつくんだな」ということを痛感しました。

 

行動力がある人は、やはりバイタリティがあって、人を惹きつける人が多いです。

行動力を身に付けたいと思ったら、「類は友を呼ぶ」という性質を利用して、なるべく行動力のある人の近くにいるようにして、影響を受けることが有効だと思います。

参考になれば幸いです。

商売の仕組みを知らないと悲劇

セールスお断りは自分勝手

営業のために名刺交換をしたりして、連絡先を交換することがあります。

相手によっては、「自分は宣伝したいけれども、セールスされるのはお断り」という態度をとる人が一定数います。

それはちょっとおかしいだろう思います。

端的に言って、身勝手だろうということです。

消費者代表とは?

「私たち消費者は」という言い方を時々聞くと思います。

しかし、「一方的な消費者」というのは、それほどいないはずなんです。

 

例えば、資産が十分にあって、貯金を切り崩して一生過ごしていける人は、完全な消費者です。

 

一般の人は、買い物をする時には消費者ですが、働いている時は何かの生産者です。

物を作って売っているかもしれないし、サービスを提供して、その対価を得ているかもしれない。

消費者に向けて「売る立場の人」です。

「商売」に対するネガティブ感情と教育不足

「セールスお断り」というのは、「商売」というものを「卑しいものだ」と考えている意識の表れです。

 

世の中の多くの部分は、商売で成り立っています。

それにも関わらず、「商売」が見える事を非常に嫌う風土があるんですね。

学校教育でも、商売の仕組みはリアルな形で教えられていません。

サラリーマンという働き方の特徴

大多数の人は、学校を卒業してサラリーマンになります。

サラリーマンというのは、あたかも学校のように、毎日会社に行って、授業を受けるかのように作業をすることによって、毎月給料が振り込まれるという仕組みです。

 

自分のやっていることが、どういう仕組みで商売になった結果、報酬を得られている、ということを知らずに、つまり、「商売」に関して、まったく無知のままで通用してしまうのが、サラリーマンという働き方です。

 

高度成長期はこれでよかったんです。

  • 人口は増える
  • 需要は増える
  • 相対的に物が足りなくなる

そんな時代は、効率的に物やサービスを生み出す「サラリーマン」を大量に養成することは有効でした。

 

細かな商売の仕組みを考えず、目の前の仕事をこなしてくれれば、仕事が成り立った時代です。

そういう時代においては、サラリーマンが最も無駄のない働き方だったんです。

 

現在は様々な転機を迎えています。

頭を使わなくても成り立っていた、会社員・サラリーマンに対して、会社は、

  • もっと工夫をしなさい
  • 何かアイデアを出してください

というような要求をするようになりました。

 

ところが、今までは、頭を使って工夫をすることが望まれていなかった状況でしたから、サラリーマンとして生み出された人たちは、急に「提案しろ」と言われてもできません。

商売の仕組みを教わらない弊害

そもそも、学生の頃から「商売の仕組み」が分かってません。

 

例えば、コンビニでアルバイトをしている学生。

「トイレを貸してくれ」という客が、その後でガムとか、何か小さな買い物していく光景があります。

それに対して、「お礼のつもりかもしれないけれども、面倒。何も買わずに、トイレだけ使って帰ってくれればいいのに」とSNSにアップロードしているのを見たことがあります。

 

これは、「自分のバイト代は、決まった時間、そこに立っている報酬だ」という勘違いから生まれることです。

 

当然ですが、物販は物が売れることで利益が上がります。

その利益の一部を、従業員の給料に当てているわけです。

 

そういう小さな売り上げの積み重ねがなければ、そのアルバイトに払う給料は生まれません。

「レジ打ちの仕事が面倒くさいから、客が来なければいいのに」というような発想自体、「商売の仕組み」を考えたら、出るはずがないんです。

 

他にも、「スポーツや芸術の世界で活躍したい」という人たちも、あまりにも「商売の仕組み」を考なさすぎると思います。

美術大学を出て、結局、絵が1枚も売れずに画家を廃業する人が非常に多いと聞きます。

 

スポーツでも同じ。

一部の観客の多い人気スポーツであればともかく、そうでないスポーツは、選手としての能力は高くても全く商売にならないものが多い。

それは、そのスポーツをやって、「どういう仕組みにで商売になるか」ということを考えていないからです。

 

極端に言えば、スポーツというのは見世物の要素が強い商売です。

訓練された選手の活躍を見て、喜ぶ観客がいる。

だから、そこで落とされたお金が関係者の手に入るという商売です。

 

それを考えれば、ただ単に、そのスポーツだけやってればいいという発想にはならないはずなんです。

例えば、

  • 観客に対するファンサービスがどれだけ重要か
  • 自分がメディアに登場してそのスポーツの魅力を伝えるということがどれだけ重要か
  • 選手やファンを育てるために教育をするという活動がどれだけ重要か

そういうことまで考える必要があります。

改めて商売の仕組みを確認する必要性

もっと幅広く、全ての人が「商売の仕組み」というものを考える必要があると思います。

会社の中でも、「その会社の利益がどのようにして生まれているか」ということを、おさらいのように社員に知らせることは、非常に重要だと思います。

 

社員の中には、「夏になればボーナスが出るものだ」と勘違いしてる人も一定数いるんです。

夏なのにボーナスを出さないのは、会社の身勝手だと勘違いしてる人が実際にいます。

 

昔のように、

  • 社員は余計なこと考えずに、ただ言われたことをやればいい
  • 黙って働いてればいい

という対応するのではなく

  • この会社がどのような状況で
  • どういう商売をしているから
  • 売上が上がって給料が払える
  • ボーナスが払える/払えない

そういった仕組みを説明することが大事だと思います。

 

仕組みを教えることで、社内でも無用な愚痴を減らすことが出来ます。

これは会社にとっても、従業員にとっても、無用なストレスを減らすことになります。

参考になれば幸いです。

 

オンライン講座を作る勧め

不労所得という幻想

一時期、「不労所得」という言葉が一般的になって、働かずに自動的にお金が入ってくる状況がもてはやされた時期がありました。

厳密に言うと、不労所得というのは、「やった分の手数料をもらう稼ぎ方ではない」というだけの話であって、「働かずに楽をして稼げる」というわけではありません。

 

不労所得自動販売機に例えられることがあります。

でも、その不労所得を得ようとした場合、自動販売機の設計から製造までを自分で行う必要があるわけです。

 

月極駐車場の使用料金が毎月入ってくる状況が、不労所得の代表のような言い方をされることがあります。

それも、月極駐車場の設備投資で、かなりの赤字状態からスタートすることになります。

 

お金が入ってくる瞬間だけを見ると、「何も働いていなくても収入がある」というような楽なイメージがあります。

しかし、その下ごしらえと言うか準備はむしろ、普通の仕事よりも面倒です。

udemyで不労所得型ビジネスを

「働いた分の報酬をもらう」というスタイルのビジネスモデルと違って、その準備に時間と手間はかかりますが、不労所得型ビジネスは、構築してしまえば、突発的に自分が働けない瞬間にも、収入が途絶えないというのが最大のメリットです。

その中で、非常に注目されているのが、udemyというオンライン講座です。

実は私も、数年前から2つほど講座を作って公開・販売しています。

 

udemyはアメリカの企業ですが、日本での展開はベネッセが請け負っています。

そのため非常にセールスプロモーションが盛んで、講座を作って公開していれば、ある程度は宣伝してくれます。

udemyの講座は無料で始められるという特徴があります。

 

品質や内容の審査はあるんですが、ニーズがあるかどうかという審査はありません。

ですから、あなたに特技があって、人に教えられる要素があれば、オンライン講座の形にして開講することをお勧めします。

udemyは動画講座

udemyの講座を見ると題材は幅広いことが分かります。

海外向けとしては、和菓子の作り方講座も人気講座として上がっています。

 

オンライン講座ですから、内容は主に動画になります。

副教材としてテキストの資料を添付することはできます。

 

動画コンテンツと言うと、映像のクオリティが高くないとダメではないか、というような勘違いをする人がいまだに多くいます。

しかし、動画のクオリティは最低限のレベルをクリアしていれば問題ないことは明らかです。

 

逆に、非常に綺麗な映像だとしても、構成がグダグダで見づらいとか、役に立たない内容では話になりません。

自由度が高い講座形式

オンライン講座・ビデオ講座は、ホワイトボードの前に立って講師が話しているイメージがあるかもしれません。

このudemyの講座は、必ずしも講師が出演して講義形式で話している映像が必要というわけではありません。

 

私も、一つ目の講座は自分が出演して、2時間以上カメラの前で話して作りました。

「初心者のための 失敗しないビデオ撮影術」

原稿に目を落としながら話すことを避けるために、わざわざプロンプターを自作して、目線を落とさずに話せるようにしたりというような苦労もしましたが、そんな必要はありません。

私の2本目の講座は、PowerPoint の文字と写真だけで構成しています。

「超実践的ストーリー映像製作講座・概要編」

自分自身で解説している声と、パワーポイントの画面を組み合わせただけの作りです。

電子書籍を元にした講座のススメ

真っ先に、このudemyによるオンライン講座の開講をオススメしたいのは、電子書籍を出版した人です。

有益な情報を与える電子書籍があなら、その内容を講座でも話すことができるはずです。

 

こういう展開を、「シングルソース・マルチユース」と言います。

一つのネタを、メディアの種類を変えて活用するということです。

例えば、電子書籍で書いた内容を

  • 細かく分割してブログの記事にしたり
  • 音声ファイルにして販売する
  • DVD を作って販売する

そういった展開の仕方です。

 

実際の作り方の一例としては

  • ご自分の電子書籍を見ながら、目の前にいる人に話しかけるようなつもりで音声を録音する
  • 電子書籍の原稿を元に、パワーポイント用のテキスト画面が作る
  • その組み合わせで動画コンテンツを作る

というやり方があります。

 

コンテンツ作成について、「ハードルが高いな」と思われる方はぜひ、升田企画(masudakikaku.com)までご相談ください。

参考になれば幸いです

従来の行動で現状維持可能?

同じ行動を続けても結果は劣化する

現状維持というのは、結果が同じということ。

結果を同じにするためにも、やることは少しずつ変えていく必要があります。

なぜなら、状況は緩やかに悪化していくものだからです。

 

この悪化というのは、別に「今の社会が悪いから」というようなことではありません。

高度成長期のように、人口がどんどん増えて、市場が拡大していく前提条件のもとでは、毎年同じ事を繰り返していても、需要は増えて利益は大きくなっていきました。

その頃の仕事のやり方を知っている人は、どんどん悪化する前提条件で、「日々新しいことに取り組まないと現状維持すらままならない」ということが理解できないようです。

今はそうゆう時代です。

 

十分な結果が出ていて、「少しずつ緩やかに悪化していったとしても構わない」という人は、今まで通りの行動を取っていればいいでしょう。

 

仮に「現状維持でいい」という場合でも、勉強、情報収集、新しいことへの挑戦は不可欠な時代です。

自主的に勉強する時間は作れない

そうは言っても、実際の作業者は、日々、目の前の作業で手一杯なはずです。

私も20数年間、サラリーマンをしていましたから分かります。

 

普段のルーチンワーク以外に課題が与えられても、時間的に最優先でないものには、なかなか手を付けられませんでした。

サービス残業しながらも、とにかく、目の前の作業をこなすことで精一杯、という状況だからです。

 

しかし、現状維持をするためにも、新たな情報や教育が必要です。

現状を改善しようと思ったら、さらに多くの情報を入力して、高い効率で学習して、それを定着させる必要が出てきます。

 

「情報入力」「教育」も、作業者個人の自発的な行動に委ねるのではなくて、組織としてお膳立てする必要が出てきます。

例えば、

  • こういう本が為になるから読みなさい
  • 教材を作ったので、勉強してスキルアップしてくれ

というような準備です。

 

仮に、会社が予算を使ってそれをやろうとすると、実際の現場の作業者の抵抗にあうでしょう。

私もそうでしたが、何しろ目の前の作業をこなすことで手一杯なわけです。

そこにプラスして、「それもやれ」ということは非常に負担が大きいわけです。

目先の生産性より大事なこと

自主的にその情報収集や勉強をするように指示しても、まずやりません。

「仕組み」としてやらせる必要があると思います。

 

例えば、その情報収集をしたり、教育を受けるためには、今の手持ちの仕事がおろそかになるかもしれません。

もちろん、短期的に見れば、生産性が落ちることは避けたいでしょう。

 

ただ、ほんの少し視点を高く持てば、目先の作業に追われて、いつまでもスキルアップが出来ない状況は、取り返しのつかない事態につながると分かります。

 

慣れたやり方しか知らないと、新しく登場したもっと効率のいいやり方が、いつまでたってもマスターできません。

あなたの周りにも、古いやり方しか知らなくても、異常に手慣れているせいで一定の生産性を上げている人がいませんか?

現状だけ見れば、新しいやり方への取り組みは不要に思えるかもしれません。

しかし、大抵、手慣れていることで生産性をカバーしている場合は、伸びしろはほぼゼロです。

 

いち早く、新しいやり方を「社内の共通ルール」として、教育によって浸透させたライバル企業に負けてしまうでしょう。

新しいやり方は、当然、効率的です。

同じ作業をするのに必要な時間が短いわけですから、安い料金でそのサービスを提供されてしまうことで、勝てなくなるわけです。

 

そうなってから慌てて、競争のために価格を下げなければいけないとなると、苦しい思いをするのは現場です。

サービス残業で対応するしか手はありません。

 

そういったことも踏まえた上で、やはり組織としては、一歩先を見据えて「損して得を取る」という考えと行動が必要だと思います。

個人起業家も自分の中に組織を作れ

個人起業家の皆さんは、自分が作業者でもあり、ビジネスオーナーでもあります。

1日の中で、その役割の切り替えが必要かもしれません。

 

作業者としては、決まったルーチンワークをする時は、頭を使わずに品質の高い製品が作れる状態でしょう。

それが非常に楽ですし、その状況で作業ができるような仕組みを作ることも大事です。

 

しかし、ビジネスオーナーとしては、一歩先を見据えた計画を立てる必要があります。

例えば、午前中は情報収集や勉強に充てるというような、投資としての時間の使い方が必要です。

情報量が多い「動画」を利用する

情報収集や勉強には時間がかかったり、頭を使うという労力が必要です。

そのコストを減らすために、情報源として「動画」を活用することはとても有効です。

無料のYouTube動画を始め、udemyのようなオンライン学習サービスもどんどん拡大している時代です。

是非、ご自分の役に立つ、動画の情報源を探して、活用するように心掛けてください。

批判の前にあなたがやるべきこと

自由な発言の大半は他人の批判

インターネット・SNS上で、様々な個人の意見を自由に発表できる時代です。

特に日本では、かなり自由な発信が許されています。

ところが、その内容を見てみると、8割近くが「誰かに対する批判」ではないかと思います。

 

「何も考えないよりは、批判精神を持つことの方が良い」という意見もあるでしょう。

しかし、思いのほか「批判」は何も生み出しません。

秩序を壊す力にはなるので、「望ましくない秩序をとりあえず壊したい」という時に、批判は機能します。

 

しかし、その秩序が壊れた後で、少しでもマシな秩序が生まれるかと言うと疑問です。

正論を吐くのは簡単 でも効果は薄い

今、望ましくないように見える秩序も、理由があってできているものです。

 

会社勤めをした経験のある人なら分かると思いますが、会社で仕事をしていると不平不満はいくらでもあります。

「こうすればいいのに、会社がそういう判断しないから、いつまでたっても状況が改善しないんだ」というような批判。

 

その批判というのは、大抵の場合、「正論」です。

しかし、あなたがその正論を、大勢の前で発表する機会得て、訴えたからといって、状況は改善しないでしょう。

正論だけでは現実は動かないんです。

これは、少しでも視野が広い人であれば理解できることですし、体験もしていることだと思います。

 

そんな「正論」は多くの人がもう知っています。

他の様々な事情や優先事項があって、その「正論」の手法が採れないのが現実なんです。

そこでいくら「正論」を唱えたところで、事態は変わりません。

やるべきことは批判ではない

物事を改善させるために、自分ができることを探して、それを「率先垂範」して実行することです。

 

自分が建設的な行動をする姿勢を見せずに、批判ばかりする人は信用されません。

「何も任せてもらえなくなるので、さらに批判を繰り返す」という「負のスパイラル」に入っている人も多く見受けられます。

 

例えば、政治批判。

もちろん納税者である皆さんは、政治の当事者でもありますから、批判する権利はあります。

 

しかし、批判する前に、例えば地元の自治会の役員になって活動をしてみると、全く視野が変わってくると思います。

自治会というような、極めて狭い範囲の行政の中にも、大抵の場合、様々な問題があります。

問題を解決するための案も出せるでしょう。

 

ところが、その正論を振りかざしても、なかなか人は動きません。

「理屈からすれば、この選択肢を取るしかない」ということをいくら説得しても、「決まりを変えるだけの賛成票が得られない」といったことを体験してください。

物事を改善させるために、やはり「正論」だけではだめだな実感できるはずです。

 

例えば、反対している人に別のことで貢献して、人間として信頼してもらうということも必要かもしれません。

そういった経験を、ほとんどしていない人が、もっと大きな行政の担当者である人を批判しても、説得力がありません。

「批判すること」自体が目的の単なるパフォーマーと見られてしまうと思います。

 

あなたが、物事の改善のために取り組んで、淡々と行動していることを、広く発信することは有益です。

その発信の方法として、「動画」を活用することはとても有効でしょう。

検討していただければ幸いです。